海外留学!初めてのカナダでの挑戦
今回は私が人生で初のカナダ留学した時の様子を少し紹介していきます。当時19歳で英語はTOEICが300点台で話し方が一切わからず、思い付きで半年休学してカナダのナナイモにやってきたことが今私の人生のすべてのきっかけです。こちらの記事を見て少しでも留学を迷っている方への後押しになればいいなと思って書いています。
初めてのカナダ留学、どんな感じだった?
カナダへ渡航まで
昔から何でも思い付きで行動するタイプの人間なのであまりリサーチなどをせずにカナダに行って英語を学んでみたいと19歳の頃に決め、半年以内には現地入りしていました。
海外留学をしたきっかけは、少し日本に飽きたのと英語が必要になると思ったからです。あとは高校の先生から海外経験してみたら、と言われて確かにおもしろそうと思っていたので暇な大学生の時期にしておきたかったのです。
基本ビザ取得や学校選びは自分で行い、ホームステイ先だけエージェントを使って決めました。
場所はナナイモというBC州のバンクーバーアイランドにある超田舎を選びました。選んだ理由は
- 物価、学費ともにかなりやすい
- 日本人が少ないと思ったので英語が伸びるかも
- 大阪出身なので田舎で住んでみたかった
です。これらはすべて正解で、学費もほかの学校のほぼ半額くらいでした。ちなみに学校はVanouver Island University(VIU)のESLクラスに入っていました。つまり大学内で英語を勉強していました。
そして日本人はクラスに自分含めて3名とかなり少数で、バンクーバーでは考えられない、そもそもアジア人すらいなく白人カナディアンだらけの土地でした。つまり英語のハードルがバンクーバーの比ではなく、英語が話せない人とのコミュニケーションの取り方がわからない人がすごく多い街だったのです。
最初コーヒーすら聞き取ってもらえなかった時には素直に詰んだと思いましたね(笑)
ここまでハードにする必要はなかったのですが、人生は短い、一瞬だということは小さいころからなんとなく意識していたので迷ったらやる、何かあればあってから対処を考えるという思考が身についていました。
そのために身の丈に合わない環境下に身を置くことが日常化していたのもあります。
さぁ、親にも相談せずに勝手に留学決めたのにだれからも心配されないことに疑問を覚えながらも飛行機に乗り、同じくカナダ留学するであろう年上のお兄さんがお別れレターを読みながら泣いているのを横目に出発です。(笑)
ナナイモでの生活
初めてカナダについたときのワクワク感は何とも言えないものがあります。そして初めて生で聞く英語、大きな外国人たち。
ナナイモでの生活は最高でした。人生初の海外で、英語も話せないまま1人で飛んでみたものの意外と周りと打ち解けれて、夏は毎日ホストファミリーとBBQしたりドライブに連れて行ってくれたりと、留学組で1番のホストファミリーだと言われるぐらい恵まれていました。
田舎なので人もめちゃくちゃ優しく、年齢問わずいろんな人と仲良くなれて、外で大勢でパーティをしたり、スポーツをしたり、仮装してトリックオアトリートしたりと、カナダの生活にどっぷりとつかることができました。
学校はその大学に正規入学したい人が集まるのでESLカレッジに比べてもそれなりのレベルです。そのESLクラスを卒業すればIeltsが6.5くらいになるほどのペースで勉強できるのも魅力でした。先生もカナディアンが多く語学学校よりさらに深く学べる感じです。
来た当初は英語が話せなかったのですが、それを見越して学校が始まる1週間前についたので、その間にリスニングをある程度できるようにして、基本的な受け答えはできるように仕上げて用意していたので、最初のタームから飛び級できました。実はこれは予定外で、予算より大目に払わされることにつながりました(笑)
学校の様子
その飛び級したクラスには私以外に2人の日本人の方がいて、割と仲良く毎日出かけたりする中になりましたが、クラス全体は割と多文化で仲良く偏らず異文化交流できていました。
しかしまぁアジア人というのは固まりやすい傾向にあるのか、その時私は少しとがっていてあまりアジア人の集まりには顔を出さなかったので、いつの間にかクラスメイト以外からはハブられていました(笑)
他のクラスには日本人、韓国人が多くいてみんなそこで固まっていたのですが、そのころ私はホストブラザーとその友達とUFC観戦しながらビール飲んでいましたね(笑)
授業は簡単で2学期目の途中で教えることはもうないと言われて自習してていいよと許可をもらうなど海外って自由だなぁと。
私は物覚えがいい方で文法も単語も学校で習う分はすぐに終えてあとは自分で発音やアクセント学習を行うようにしました。
その時によく使っていたのは、言語をうまく発音できない人向けに作られてLanguage Coachingというサービスをよく受けていました。
例えばカナダ人でも障害や第二言語のせいで発音がうまくできない人もいて、そういう人たちのためのサービスなのですが、発音矯正を行っていると聞いたので毎日通って発音を直すことに集中していました。
RとLはもちろん、母音の出し方、舌の位置までしっかりと勉強して、授業後毎日通ってこっそりとレベルアップしてましたね。
英語力はあがったの?
英語力はめちゃくちゃ上がりましたね。というより始まりがTOEIC300点台なのでそこから半年でIELTS Academicで6.0まで持って行けたのは快挙でしょう(笑)
英語力を上げることの1番のきっかけはファミリーと、ファミリーの友達の子供の面倒を見たことにあります。その子は3歳くらいなのですが英語をほぼ100%理解して発音もよくコミュニケーションを取れているので、なぜなのだろうかめちゃくちゃリサーチしました。まぁ普通は母国語なのだから当然と思うのでしょうね(笑)
その時に思いついたのが英語と日本語を切り離し、現地の赤ちゃんだったらどのように英語を学ぶのだろうといろいろ方法を考えたことで、英語を母国語にするための勉強を開発していました。
こちらの記事で私がしていた英語力を爆速で上げた方法について紹介しています。
プラスで私は基本カナダ人たちと話すことに集中していた、というのもあります。初めて来たときはHot Chocolateが通じないくらいで、あの時の悔しさは今でも覚えています。
地域差もあるのでしょうが移民が少ない街の英語のハードルはバンクーバーやトロントとは比べ物になりません。私が住んでいたナナイモは当時カナダ人しか住んでいないのではないかというぐらい英語環境でした。
みんなめちゃくちゃ早く話すし、発音1つでもミスれば何にも伝わらないハードコアモードにいたので必然的に英語が伸びたのだと思います。
後期のクラスで2クラス飛び級してどうやって英語をそんなに早く学べているのか先生の部屋に呼び出されることもありました(笑)
特別に頭がいいのか?違います。英語が話せなければ誰とも話せない環境にいたからです(笑)
あとは2学期目に出会った今でも仲のいい日本人の友達とも英語ですべて会話していたことが大きいですね。
人生への影響
人生への影響はめちゃくちゃ大きかったです。陳腐な言い回しになりますがこの半年で価値観を大きく変えました。なぜならカナダで仕事が見つかるくらいにまでなって、おそらくどこの国でも生活できることを知ったからです。
では、なぜカナダにまた戻ってこようと思ったのか。
コンビニもなく、言語も違い、ご飯も日本ほどおいしくないカナダへ戻るきっかけとなったのはカナダ人の生活でした。仕事に縛られず大人数でパーティやスポーツなど好きなことへ没頭できる環境が私にぴったりだったのです。
小さなころから海外のティーンショーなどを見て育ったためか、少し日本の方たちとは価値観が違い窮屈に思えてたところはところどころあったので、カナダにきてそれが解放できることに満足してカナダで住むことに決めたのです。
たった半年の留学でもその経験によって人生が変わることにも気づきました。まさか半年カナダ留学しただけでカナダにもう一度行こうなどと自分でも思ってみなかったので、なにかチャレンジしたいことがあるときはためらわず挑戦してみるといいですね。